放射線障害評価のための線量推定 -医療被曝と職業被曝を中心に- 丸山隆司 日本保健物理学会 1978年
[解説]
日本では、国際放射線防護委員会(ICRP)の「100ミリシーベルトの被ばくまで安全」論が流布しています。果たして100ミリシーベルトまで安全は本当でしょうか?
放射線被曝の歴史を調べていて、貴重な資料に出会いました。1978年の資料です。国際放射線防護委員会(ICRP)が1977年勧告を出す頃。まだ、 国際放射線防護委員会(ICRP) の「実効線量当量」が日本保健物理学会を支配する以前の資料だと思われます。
はっきりと放射線が白血病を引き起こすものであることが書かれています。
医療放射線被ばくが危険であり、放射線科医の寿命を縮めていることが書かれています。
是非、 国際放射線防護委員会(ICRP) が1999年に委員会採択した「妊娠と医療放射線」(ICRP Publication 84)と読み比べて下さい。驚くほど、放射線に対する危機認識が違う、と感じられることでしょう。
<資料> ICRP Publication 84 妊娠と医療放射線 1999年11月
国際放射線防護委員会(ICRP)は何度とも変質をとげていますが、1977年の変質は決定的だったようです。中川保雄氏は著書『放射線被曝の歴史』(明石書店,1991年)の中でこう書いています。
「 国際放射線防護委員会(ICRP)は 以上のような作業を進めながら、1965年勧告の全面改訂に着手することを1974年に決定した。その際、ICRPは、つぎのことを申し合わせた。許容線量という概念を放棄して『線量当量』を使用すること、最も敏感な臓器への線量で被曝を制限しようとする『決定臓器』という従来の概念を放棄すること、3カ月3レム(=30ミリシーベルト:編集者)の制限量および5レム( =50ミリシーベルト :編集者 )×(年齢-18歳)の年齢公式を放棄して全身 5レム( =50ミリシーベルト :編集者 ) とすること、公衆の被曝に関してはALALA原則(合理的に達成できる限り低く=お金がかからない程度の被曝管理、という意味 :編集者 )を基礎にして大幅に改訂することー新勧告をこのような線でまとめることを確認したうえで、検討に入った。」(同書増補版,明石書店,pp.152~153)
「許容線量に代えて実効線量当量という新しい概念が導入された。これは新しい科学的モデルを導入して、人間への計算上の被曝線量を設定するもので、『科学的操作』が複雑に行われるだけ実際の被曝量との差が入り込みやすい。それだけごまかしやすいのである。たとえば、原発の建屋内等の空気中を漂う放射能の濃度基準は、実効線量当量であれば従来よりも大幅に緩和される。」
「マンガン54の場合、1000ベクレル吸入すると被曝量は従来なら1.95ミリレム( =19.5ミリシーベルト )とされていたが、実効線量当量ではわずか ら0.147ミリレム( =1.47ミリシーベルト )とされ、じつに13倍も過小に評価されることになった。
「ストロンチウム90の場合、1000ベクレル体内にとり入れたときの被曝量は、それまでなら44.4 ミリレム( =444ミリシーベルト )とされていたのが、実効線量当量ではたった 0.147ミリレム( =1.47ミリシーベルト )となり、これまた11.5倍も緩和された。
(同書増補版,明石書店,pp.156~157) 」
この悪質な変質をとげた国際放射線防護委員会(ICRP)1977年勧告の支配を受けていない、最後の日本保健物理学会の報告から、「体外被曝」および「体内被曝」を全文引用します。かつてはこういう、放射線管理者も日本にいたのです。なお、読み手の便宜を考え、編集者が英語表記の人名等についてカタカナを加え、旧単位系の表記を一部ミリシーベルト等の注釈を付けました。
[論文より全文引用]
放射線障害評価のための線量推定 -医療被曝と職業被曝を中心に- 丸山隆司 日本保健物理学会 1978年 11月 保健物理 1978年 第13号 pp.259~277
[体外被曝]
1896年1月4日, レントゲン(ROENTGEN)によるX線の発見が報道され, 同じ年の11月にはベクレル(BECQUEREL)によるウランからの放射能の発見が報告された。人類が電離放射線の 線源としてX線やウランの利用を開始したのはこの頃からである。
その後, 20世紀の前半にかけて, もつと高エネルギーのX線を得るために加速器の開発が進められ, 1920年代 末には200kV程度のX線による深部の癌治療が行なわれた。1930年代は加速器ブームで, ファン・デ・グラーフ(Van de GRAAFF)やコッククロフトとウォルトン(COCKCROFTとWALTON)により, MV級の加速器が開発されると共に, サイクロトロン, 直線加速器, ベータトロソなど種々の加速器が出現した。この間に中性子や中間子など新粒子が発見され, 人類はX線やラジウム以外の放射線からも被曝を経験することになつた。
そして戦後には, 原子炉や人工放射性物質の利用が可能となり, 現在では原子力, 医学のみならず考古学などでも放射線 が利用されており, その利用は食品照射や空港の手荷物 検査など多様化している。現代社会において, 我々は放射線から数えきれないほど沢山の利益を受けている。その反面, 人類は放射線から数々の障害を受けることがこれまでの経験によつてわかつている。
X線の発見とほぼ同時に, X線の医学利用が行なわれたが, X線を受けた人にかなり重篤な皮膚障害がみとめられた。第1表にX線の体外被曝による当初の障害例を示したが, 透過力の弱いX線であつたため, 幸い皮膚障害ですんだ。X線の発見後1カ月を経て, すでに線治療が行なわれた事実がある。X線の人体への影響について何らかの根拠があったわけではなく, 淡い期待を治療に寄せていたためであろう。1904年にベルゴニー(BERGONIE)とトリボンドー(TRIBONDEAU)がラットの睾丸にX線を照射し, 組織学的変化を研究している。その結果, ベルゴニ・トリボンドーの法則として知られている『未熟な細胞や分裂の盛んな細胞は, 形態学的, 生理学的に成熟した細胞に比べて放射線感受性が高い』という法則を確立した。この頃になつて, X線の生物効果が研究され, 1903年にハイネケ(HEINEKE)がX線照射によリマウスに白血病を発生させることに成功した。1911年にヘッセ(HESSE)はX線被曝者に誘発された93例の腫瘍を調べたが, そのうち50例は放射線科医であっつた。
放射線被曝による悪性腫瘍の発生は, 被曝後長い年月の潜伏期をもつことがわかってきた。皮膚癌のような障害は, 被曝開始後10~30年を経過しても徴候を表わさなかった。しかし, ある場合には, 透視診断で手の被曝を中断させてから25年後に悪性の皮膚障害が発生している。1922年にルドーールボー(LEDOUX-LEBARD)は100人以上の放射線科医が, 職業上の被曝による癌が原因で死亡していると推定した。多くの放射線科医は放射線による白血病であった。その後, マーチ(MARCH)は1949年以前の20年間に,放射線科医の白血病死は内科医に比べて9倍も高い頻度で起こることを報告した。
放射線による寿命の短縮についても調査が行なわれている。セルツァー(SELTZER)によれば, 北米放射線学会員の平均死亡年齢は, 1935~44年では71.4歳, 1945年~1954年で72.0歳および1955年~58年で73.5歳であつた。一方, 放射線とはあまり縁のない眼科・耳鼻科学会員では, それぞれ76.2, 76.0および76.4歳であつた。放射線科医は4.8歳から2.9歳だけ寿命が延長した。寿命延長の減少は各自が放射線被曝の低減に努力した結果と思われる。
北米放射線学会員の平均死亡率 眼科・耳鼻科学会員の平均死亡率 差
1935~44年 71.4歳 76.2歳 4.8歳
1945~54年 72.0歳 76.0歳 4.0歳
1955~58年 73.5歳 76.4歳 2.9歳

[体内被曝]
サクソニーのシュネバーグ(Schneeberg)コバルト鉱山やボヘミアのジョキミストル(Joachimstahl)の瀝青(れきせい)ウラン鉱山で, 鉱夫の間に奇妙な肺疾患が多発していることは1500年代に知られていた。1879年に,ハートリング( HERTING)とヘッセ(HESSE)は, この肺疾患が肺の悪性腫瘍であると指摘した。1911年にアーンスタイン(ARNSTEIN)は, これが肺癌であることを確認した。鉱夫の肺癌による死亡率は, 正常人の約30倍であつた。肺癌の原因が鉱山の空気中のラドンと関連があることは, 1924年にルドウィッグ(LUDEWIG)が明らかにしている。
第一次世界大戦から1930年にかけて, ラジウムによる被曝が続いた。大部分は治療のためラジウム投与, ラジウムおよび放射性トリウムの飲用, さらに化学者の職業上の被曝であつた。この時期には, ラジウムは治療に有効と考えられており, 米国でも数100人の患者に投与された。ラジウムによる体内被曝で有名なのはダイヤルペインタの被曝である。ラジウムからのα線で硫化亜鉛などの蛍光体を刺激したとき発光を起す現象が,クルックス(CROOKES)らによつて1903年に発見された。1908年ごろから, この現象を利用して時計の文字板を作る作業が工業化され, 米国ではかなりの工場に多くの女性がラジウムペインタとして勤務していた。しかし, その大部分の女性は比較的短期間しか勤めなかつた。1925年にマートランド(MARTLAND)はそのような女性の死亡例を報告している。
1917年に35歳でダイヤルペインタとして作業を始めた女性が白血球減少症を伴つた放射線による貧血で死亡する2, 3ヵ月前まで, その作業を続けていたという。
ダイヤルペインタがラジウムを体内に取り込む直接の原因は, 文字板に夜光塗料をぬるのに小さな筆を用い, 筆先をそろえるのに唇でしめしていたためと考えられる。米国では50例を越えるダイヤルペイ ン タの死が記録されているが, 初期の死は, 再生不良性貧血, 副鼻腔の腫瘍そして顎骨や他の骨組織の骨髄炎が原因であり, 後期の死は骨肉腫が原因であつた。いずれの場合にも 226(226Ra) の 身体負荷量ははつきりしていない。エバンス(EVANS)らは死亡時のラジウム226(226Ra)の負荷量が4810ベクレル(0.13μCi)であつた女性のダイヤルペインタの死亡例を報告している。この婦人は16歳のときに時計会社に勤めはじめ, 1924年から1930年まで勤続したが, 1955年に骨肉腫で死亡した。1926年に,彼女の歯の中のラジウム 228/ラジウム226(228Ra/226Ra) の比は2.5と推定されたが, このことは全線量の80%が ラジウム226(226Ra) によつて与えられたことを意味する。死亡時の ラジウム226(226Ra) 負荷量は 4,810 ベクレル( 0.13μCi)であつた。初期の職業上の被曝における骨の負荷量は1回摂取で第一日目で約 555万 ベクレル( 150μCi)であつたと結論した。 ラジウム226(226Ra) の身体負荷量についての最大許容量はこのようなデータから決められたものである。
人類の体内被曝として重要なのはトロトラストを注射 された患者のグループである。トロトラストは20%(重量比)のコロイド状二酸化トリウムとほぼ等量のデキストラン(保護コロイド)およびメチル-p-ヒドロキシ安息香酸0.15%(防腐剤)からなる造影剤である。これは1928年から1945年まで, すぐれた造影剤として, 肝,脾, 脳血管などのX線撮影に用いられていた。通常, 静脈注射により3~159のトリウム232(232Th,ラジウム226の14,800~74,000ベクレルに相当)を患者に投与していたが, 多くの人々には, 投与後10~25年に骨の一部に密度の大きい部分が生じたり, 17~23年に肝の腫瘍が発生したり, 中には6~35年に静注部位に悪性腫瘍が生じたことが報告されている。特に注目されるのは, 投与後3~23年で, 肝癌を誘発していることである。日本でも癌研の森らによる調査で約150名のトロトラスト注射を発見している。現在, トロトラストは利用されていないが, トロトラスト患者は何人か生存しているであろう。
ところで, X線が主として医療の目的に利用されるにつれて, 前述のごとく数々の放射線障害が発生した。これに伴い, X線を主体とした放射線を有効かつ無害に利用するため放射線防護の必要性が認識された。しかし,当時は放射線の生物効果はもちろん, 線量といつた量的観念さえなかつた。 1902年にロリンズ(ROLLINS)は, 当時の写真乾板に7分間照射しても黒化しない程度のX線量を無害とした。これは現在の10~20R/dayに相当するという。
R単位での線量は, 1928年の第2回国際放射線医学会議で国際単位として採用された。なお, ICRU(国際放射線単位・測定委員会)は1925年に設立され, ICRP(国際放射線防護委員会)の前身であるIXRPC(国際X線・ラジウム防護委員会)は1928年に誕生した。英, 米, 仏では1915年から22年にかけて, 各国防護委員会が設立されていた。
1934年にIXRPCは1.8ミリシーベルト/日(0.2R/day)を耐容線量として採択した。1950年にIXRPCはICRP(国際放射線防護委員会)と改められた。このとき勧告を出し, (1)取り扱う放射線をすべての電離放射線にまで拡大し, (2)耐容線量の代わりに最大許容線量で表わすこととし, 2.6ミリシーベルト/週( 0.3R/weekと定めた。第2表に, 最大許容線量の変遷を示す。
1958年に「集団に対する遺伝線量」の制限を勧告した。
定義によれば, 遺伝線量とは,「その集団の各人が受胎から子供をもつ年齢(ここでは30歳とする)までにこの線量を受けたと仮定したとき, 各個人が受けた実際の線量によつて生ずるのと同じ遺伝的負荷を全集団に生ずる線量」である。
その後, ICRPは種々の勧告を出しているが, 最新の 勧告は1977年のPublication26である。これについては専門家の解説17)に委ねる。