内部被ばくを考える市民研究会 例会 小山美砂さんを迎えて 9月18日(日)13:30~15:30 ツィキャス

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講演 『黒い雨』訴訟と新ヒバクシャ援護法 小山美砂さん 毎日新聞大阪社会部記者9月18日(日)13:30~15:30 ツィキャス
事前、お申し込みの方はZoomでも視聴できます。


 2021年7月14日広島高裁は、「黒い雨」を浴びた原告84人全員を被爆者として認めた前年の広島地裁判決を認め、国の控訴を棄却しました。同年7月26日菅政権は、「84人の原告の皆さんについて、被爆者援護法に基づき、その理念に立ち返る中で救済するべきだと考えました」との首相の政治判断を示し、最高裁への上告を断念しました。

 小山美砂さんは、毎日新聞の広島支局の記者として2018年から「黒い雨」訴訟の担当となり、この「黒い雨」訴訟の原告の被爆者とともに取材を続けてきました。2022年7月20日に集英社新書から「『黒い雨』訴訟」を出版しました。

小山美砂『「黒い雨」裁判』集英社新書2022年7月20日

 序章 終わらない戦後 に小山美砂さんはこう書いています。

「なぜ、黒い雨被爆者は戦後75年余りも間、置き去りにされてきたのか。そこには、被ばくの影響を訴える声を『切り捨てる』論理があった。これに異議を唱え、被ばくを巡る救済のあり方を問うたのが、『黒い雨』訴訟だった。黒い雨被爆者がなぜ、どのように切り捨てられ、そして何を訴えて援護を勝ち得たのか。本書は、黒い雨被爆者が『切り捨てられてきた』戦後を記録した、初めてのノンフィクションである。その記録は長崎で、福島で、そして世界中で今も置き去りにされている放射線による被害者を救う道しるべになると確信している。」

 裁判の中で、「黒い雨」を浴びた人々が爆心地近くで被ばくした人々と同様に、原爆症を発症していたことが明らかになっています。原子物理学者で反原発を唱えていた、水戸巌氏の言葉を借りて、「外部被ばくは、機関銃を外から撃たれたようなもので、一過性。だが、内部被ばくは体の中に機関銃を抱えて、内部から絶えず弾丸を打ち出されているようなものだ」と紹介しています。この訴訟が、福島第一原発事故への影響を恐れた厚生労働省の田村憲久大臣は「空気中の浮遊していた放射性微粒子を吸い込む、もしくは食物、飲料水などから体の中に入れる場合、放射線量に限らず、そういう(健康影響を与える)可能性がある、ということが(判決文)に書かれている」と発言したことも紹介されています。この小山美砂さんの「『黒い雨』訴訟」は、内部被ばくの教科書として読めると思います。

 「100ミリシーベルト以上の放射線を浴びた場合は病気を発症するが、それ未満の放射線ならば放射線によって発症することはない」という「100ミリシーベルト閾値論」を国は主張してきました。「100ミリシーベルト閾値論」の根拠は、寿命調査と呼ばれる広島・長崎の被爆者生存追跡データです。しかし、この寿命調査は、初期放射線に対する評価であって、黒い雨で問題となる残留放射線の影響は排除されています。広島地裁判決では、この「100ミリシーベルト閾値論」を取らず、原告それぞれが「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような状況にあった者」と言えるか否か検討した、と書かれています。
 まさに、東電福島第一原発事故の放射能を受けてしまった、私たち新ヒバクシャは、この「放射能の影響を受けるような状況にあった者」ではないでしょうか。

 序章に原告3人の方が紹介されています。その健康被害とは

① 川本妙子さん。原爆投下当時3歳。23歳の時に甲状腺機能低下症。その後、糖尿病、骨髄異形成症候群(白血病の前段階と言われる)、68歳、72歳で脳梗塞。

② 斉藤徹磨さん。原爆投下当時13歳。30歳過ぎてから体調を崩しがちになり、高血圧、白内障、糖尿病、心臓弁膜症、高脂血症。

③ 高東征二さん。原爆投下当時3歳。投下当時自宅の中にいた。見上げた空の色が、赤、黄、青、緑と色を変えた。チリや灰が降ってきたことを記憶している。しかし、その後の記憶がない。比較的健康で、雨に濡れた記憶もない。しかし、運動の過程で知り合った研究者からは、「チリや灰など、放射性微粒子が浮遊する空間にいたのだから被ばくしています」と言われている。高血圧を発症し、2019年、74歳の時に脳梗塞で入院。その後、不整脈、心房細動のカテーテルアブレーション治療を受けた。

 原発事故からまだ、11年。川本さんが発症したのは20年後、斉藤さんが発症したのは17年後、高東さんが発症したのは71年後。私たち新ヒバクシャが、自分の健康被害と向き合うのは、これからではないでしょうか。黒い雨被爆者の現在は私たちの未来かもしれません。自らの問題として、この「黒い雨」訴訟を学びたいと思います。

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「黒い雨」不安一掃を重視 広島高裁判決、発症前でも救済に道開く

深掘り 金秀蓮 中山敦貴 小山美砂 芝村侑美

2021年7月14日 毎日新聞 

「黒い雨」の体験者への被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の控訴審判決を前に、広島高裁に向かう原告団=広島市中区で2021年7月14日午後2時14分、山田尚弘撮影
「黒い雨」の体験者への被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の控訴審判決を前に、広島高裁に向かう原告団=広島市中区で2021年7月14日午後2時14分、山田尚弘撮影

 「黒い雨」を巡る14日の広島高裁判決は、再び住民全員を被爆者と認めた。放射線の影響への不安を一掃するという被爆者援護法の理念を重視し、病気の発症前でも被爆者と認める新たな枠組みを示した。「科学的裏付け」にこだわってきた国の姿勢が否定された形だが、今回の司法判断は早期救済に結びつくのか。

 「被爆者援護行政の根本的な見直しを迫る画期的な判決だ」。閉廷後、原告側の竹森雅泰弁護士が声明を読み上げると、集まった原告や支援者から拍手が起こった。

 最大の争点となったのは、原告らが被爆者援護法の「3号被爆者」といえるかどうかだ。同法では「原爆放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」と定め、直接被爆(1号被爆者)や原爆投下後2週間以内に爆心地近くに行った入市被爆(2号被爆者)などと区別している。

「黒い雨」と国の援護対象区域
「黒い雨」と国の援護対象区域

 1審・広島地裁判決は、この規定を「健康被害を生じる可能性」があったかどうかで判断すべきだと解釈したが、高裁判決は「健康被害を否定することができない事情があれば足りる」として、認定のハードルを一段下げた。

 救済の枠組みも1審判決より踏み込んだ。

 国は1976年、終戦直後の気象台調査に基づき、大雨が降ったとされる地域を黒い雨の援護区域に指定。この区域にいた人は無料で健康診断が受けられ、国が「放射線の影響が否定できない」と定める造血機能障害など11種類の疾患を発症すれば「被爆者」とみなされ、被爆者健康手帳を受け取れる。

 1審判決はこの仕組みを準用し、区域外であっても黒い雨に遭い、11疾患を発症すれば被爆者と認める判断基準を示した。

 高裁判決は、健康被害が顕在化していない住民も援護対象とする法の趣旨を踏まえ、11疾患を発症していなくても被爆者と認定する枠組みを提示。さらに多くの黒い雨体験者が救済される道を切り開いた。

 黒い雨を巡っては、広島市や広島県などが長年にわたって区域拡大を求めてきた。しかし、国は80年に厚相(当時)の諮問機関が出した「被爆地域の指定は科学的・合理的根拠のある場合に限定して行うべきだ」との報告書を盾に否定し続けてきた。

「黒い雨」訴訟・控訴審の主な争点
「黒い雨」訴訟・控訴審の主な争点

 今回の訴訟でも国は被爆者認定に「高度な立証」を求めたが、高裁判決は「認定を否定するためでなく、被爆者と認めるために科学的知見を活用すべきだ」と厳しく批判した。

 科学的知見を巡って争点となったのが、黒い雨による健康被害があるかどうかだ。

<中略>

 1審判決後に体調を悪化させて入院した原告も少なくなく、県と市は訴訟や検討会の結論を待たない早期の救済を求めている。共に原告として闘った姉を2018年に亡くした原告の広谷倉三さん(79)は、「国は、被害を否定しようと意地になっとる。わしらもあと何年生きられるかわからず、先がない。一刻も早く『被爆者』と認めてほしい」と訴えた。

 ただ、国にとって「科学的な根拠がない」として控訴した1審判決を踏襲する広島高裁判決は受け入れ難い。厚労省幹部は「控訴した理由を考えれば、上告を視野に検討することになるだろう。だが、県と市がどのような方針か分からず、今後について協議して対応したい」と話す。衆院選が間近に迫っており、ある省庁幹部は「上告を断念し、原告を救済する政治的判断はあるかもしれない」と指摘する。上告期限の28日まで検討を重ねる方針だ。【金秀蓮、小山美砂】

長崎の「被爆体験者」にも光

 国による援護対象区域の線引きを巡っては、長崎でも区域外にいたため被爆者と認められない「被爆体験者」が、広島と同様の訴訟を相次いで起こしている。最高裁で敗訴が確定したが、一部の原告は再提訴して現在も争っており、援護対象区域外にいた原告の訴えを認めた広島高裁判決を歓迎する声が上がった。

岩永千代子さん
岩永千代子さん

 長崎では原爆投下当時の行政区域を基に、爆心地から南北各約12キロ、東西各約7キロのいびつな形で被爆地域が指定されている。被爆地域内の被爆者は被爆者健康手帳を所持し、医療費が無料となるのに対し、同じ半径12キロ以内でも被爆地域の外側にいた「被爆体験者」への援護内容は、1年に1回の無料健康診断など限られている。

 このため、12キロ圏内でも被爆者と認められない東西約7~12キロの「被爆体験者」が2007年以降、放射性物質で汚染された水や農作物などを摂取し内部被ばくしたとして、被爆者健康手帳交付を求めて長崎地裁に集団提訴した。しかし、地裁、福岡高裁ともに訴えを退け、17年に最高裁で敗訴が確定。11年には第2陣が提訴し、長崎地裁が161人のうち10人を被爆者と認めたが、福岡高裁で全員敗訴し、19年に最高裁で敗訴が確定した。1陣、2陣の原告の一部は再提訴し、長崎地裁で争っている。

 広島高裁の判決を受け、長崎市内で記者会見した第1陣の原告団長の岩永千代子さん(85)は「光が見えてきた。見捨てられたまま亡くなっていく被爆者の存在を歴史から消させないための礎になる判決だ」と評価。第2陣の原告団長の山内武さん(78)は「今回の判決が私たちの訴訟に良い影響を与えてほしい」と期待した。弁護団の三宅敬英(としひで)弁護士は「長崎も広島と同じ論点で闘っており、長崎の原告の全面勝訴、全面救済につながる一歩だ」と話した。【中山敦貴】

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