ベラルーシ卒後教育医学アカデミー(BELMAPO)で2013年3月に川根は野呂美加さん、福島県、千葉県、神奈川県の医師とともに、甲状腺がんの診断と治療の医師向け研修を受けました。そこで同アカデミー国立甲状腺がんセンター所長(当時)のユーリ・デミチック氏の講義を受けました。そこでデミチック氏は、チェルノブイリ原発事故当時のヨウ素131の土地汚染マップを紹介しました。チェルノブイリ原発事故で4号機の爆発は1986年4月26日、火災は同年5月10日までの実に15日間続いた、とされます。このヨウ素131土地汚染マップはその1986年5月10日の時点でのものです。

このヨウ素131土地汚染地図とともに、デミチック氏は1990年~2000年までの11年間でベラルーシ共和国で診断された953人の小児甲状腺がんの患者数の地域分布図を紹介しました。この小児甲状腺がん患者数の地域分布図は、武市宜雄氏ら『放射線被曝と甲状腺がんー広島、チェルノブイリ、セミパラチンスクー』渓水社、2011年8月20日の96ページの図と内容として同じものです(こちらは1986年~2000年までの976人)。
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上のヨウ素131の土地汚染マップと下の小児甲状腺がんの子どもたちの各行政区ごとの人数分布とと比較すれば、ヨウ素131の放射能汚染が強いほど、小児甲状腺がんの患者が多数出ています。
水色、黄色、うすい赤、赤、そして赤黒い色、黒とひどいヨウ素131の土地汚染になっていました。
注目すべきなのは、水色 ヨウ素131で18.5万~37万ベクレル/m2でも、1990年~2000年の11年間(原発事故当時4年後~14年後)に数人(1~2人)の小児甲状腺がんの患者が出ています。これは、下に見るように福島県の小学校のヨウ素131土地汚染でも伊達市立保原小学校、郡山市立金透小学校、いわき市立平第一小学校の汚染レベルです。
また、一番上のヨウ素131土地汚染マップの黄色は、37万~185万ベクレル/m2の汚染ですが、2番目の小児甲状腺がんの患者地域マップを見ると同じく数人(多くて5~9人)の小児甲状腺がんの患者が出ています。これは、下に見るように福島市立第一小学校、福島市立大久保小学校、二本松市立岳下小学校、浪江町立津島小学校、いわき市立四倉小学校の汚染レベルです。
さらに、一番上のヨウ素131土地汚染マップの薄い赤色は、185万~555万ベクレル/m2ですが、2番目の小児甲状腺がんの患者地域マップでは10人を超える患者(多くて14人)が出ています。これは、下の川俣町山木屋小学校の汚染レベルです。

これらの水色、黄色、赤色の小学校で学んでいた小学生から小児甲状腺がんの患者が出る可能性があるのではないでしょうか。上記小学校のうち、福島市、二本松市、伊達市、郡山市、須賀川市、平田村、白河市、会津若松市、喜多方市、南会津町、相馬市、いわき市には一切避難指示が出ていません。
また、この2011年4月14日の段階では、放射能で汚染された土ほこりの再浮遊(巻き上がり)を内部被ばくとして計算していました。ところがいつの間にか、政府は、この再浮遊を無視して、外部被ばくのみで被ばく線量を計算するように変質します。
そもそも、小学校に通う子どもたちに、6ミリシーベルト、7ミリシーベルト、10ミリシーベルトの被ばくをさせて良かったのでしょうか?以下の原子力安全・保安院の資料にもみられるように、1990年代に入ると、原発労働者などの放射線業務従事者の平均被ばく線量は年間1ミリシーベルト程度になっているのにもかかわらず。政府、文部科学省は、実に平均的な放射線業務従事者の6倍、7倍、10倍もの被ばくを小学生に強いたのでした。
